Title: 山登り。

仏教の基本は「苦」に向き合うことだと思う。仏教を扱う上でそれを忘れてしまったら、なんの意味もないし「苦」と向き合わない人間が、僧衣を纏っていたとしてもそれは僧侶でも何でもないと思う。

向き合うと言うことは、知ることであるし、そこに足を踏み込むことであるし、光だけでなく、陰の部分にも目を背けないことで、そして陰までも含めてその事実をどかんと受け止めることだ。

最近思うのは、その「苦」をどこに見いだすのかということで、僧侶や宗教者のカテゴリー分けができるように思う。それを自分の中に見いだす人、他人の中に見いだす人、社会に見いだす人、世界に見いだす人。

そのどれも正解だと思うし、どういう形であり、手の届く範囲に「苦」をおいて活動していればそれは、すべて仏教になりえるし、結局の所どの道を通っても、同じ所にいきつくのだろうと思う。

その「苦」をどこに見いだすかという部分で、僧侶や宗教者にも性格はあるし、好き嫌いもあるし、たぶん自分が違和感を感じる僧侶や宗教者はきっとそのカテゴリーがあわない人なんだろうということがわかったような気がする。

でもそれは山登りのルート選択の違いのようなものなのかもしれない。

しかし時々山登りの重装備をして、格好だけは一人前なのに、山には登らず山の解説ばかりしている人がいるのも事実なので、自分はそうなりたくないなと思った。

という今日この頃。

自分のあり方としては、自己に自己に、人に人に。安穏としたかと思ったら、一転して怒りに打ち震えたり落ち込んだり、そんな捕まえようのない自分に捕まって、それを楽しみつつも、その扱いにもっともっとうまくなる方法や、自分を納得させられるだけの体感を見つけようという姿勢の僧侶でありたい。









POSTED @ 2012.04.20 | Comment (0) | Trackback (0)

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