Title: 歩兵


うちの寺の一室に、清沢満之の言葉をおじいちゃんが毛書したものがかけてある。

「我らは死せざるべからず。我らは死するも我らは滅せず。生のみが我らに非ず、死もまた我らなり。我らは生死を並有するものなり。我等は生死以外に霊存するものなり」

そこにはこう書かれている。

正直言うと、この霊存と言う言葉が自分の中では引っかかっていて、なんで真宗の寺で霊存とかいう言葉をこんなに堂々と掲げてるんだと思っていた。本当に今日まで。

今日叔父さんの葬儀が終わって、繰り上げての初七日を終えて、お斎の席がこの一室で振る舞われたのだけど、その額の下に、叔父さんのお骨をおいて、その横に写真をおいて、その向かい側に座って、一杯飲んでいて思ったのだ。

叔父さんというのは、おじいちゃんの兄弟なのだけど、男5人兄弟の叔父さん達は、この数年でみんな亡くなってしまって、今日いった叔父さんで、おじいちゃんの兄弟はみんないなくなってしまったのだ。

自分にとっては、小さい頃から色んなことを、本当に色んなことを教えてくれて、本当に遊び好きな人達だったから、将棋も囲碁も、軍人将棋も、車もバイクも、カメラも山登りも、スキーもなにもかも初めに教えてくれたのは、親ではなくて、叔父さん達だった。

今日棺の中に、いつも叔父さんと一緒に打っていた将棋盤から駒を一つ持ち出してきて。「歩」の駒を一ついれた。みんなは何で「歩」なんだ、王とか金とかせめて飛車くらいにしたら?といっていた。

でも駒を選ぶ時に、「歩」の駒にしようと決めていたのだ、小学生の頃に、叔父さんに将棋を教えてもらって、その時に、叔父さんは「歩のない将棋は負け将棋なんだぞ」といっていた。そのことが今でも頭の中にあって、将棋をするときには必ずその教えを守っている。

小学生の頃、叔父さん達の会話や、やることや、遊んでいることの仲間に入りたくて、将棋や囲碁を覚えて、それで叔父さん達に褒められたり、勝ったりすることで自分が大人になったような気がしていたのだ。

先月一緒に将棋を打ったときは、少しの差で自分が勝った。その時の叔父さんの悔しそうな顔と、年はとりたくねぇなぁといった顔が忘れられないのだけど、勝ち越しは勝ち越し。

続きはお浄土で打とうと思う。

そんなことを想いながら、お釜の前に立っていて、すごく寂しいのだけど、これで浄土に兄弟みんなそろって、先にいったひいおばあちゃんと一緒に今頃、おおやっときたか、なんて言われながら、みんなでわいわいと酒でも飲んでるんじゃないかと思ったら、なんか心からほっとして、本当によかったなと思えたのだ。

そして同時に、この世じゃないところにに行くのも悪くないなと思ったし、会いたい人がだいぶ増えてきて、その時までに、自分ももっともっといっぱしの口を聞けるくらいに大きくなろうとも思った。

なんか、涙がでてくるのも、頭でわかって泣いているうちはいいのだけど、本当に全然悲しみにあふれているわけでもないし、むしろ納得して安心して、お浄土に行ったと体感して、ほっとしているつもりなのに、それでも気づいたら自然に流れてくるものにはもうどうしょうもないのだということもよくわかった。これが人間なのだ。

そんなことを感じて寺に戻り、その一室で、清沢満之の額縁と、叔父さんのお骨と写真をみながら、日本酒を飲んでいたら、霊存しているとは、つまりはこういうことなのかと突然腑に落ちたのだ。

霊がいるとかいないとか、そんなことではなくて、正直お浄土があるとかないとかそんなこともわからないけど。

でも叔父さん達が自分にたくさんのことを残して死んでいって、その人達はもうこの世ではないどこかにいって、それはきっと浄土というところで、自分もいつかこの世の縁尽きてそこにいくときに、もしまた会えたらいいなと思うことであるし、ときどき夢に見たり、思いだしたりしながら、自分の人生を軌道修正したり、気づかされたり、その度に叔父さん達も、おじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、この世じゃないところから自分に作用をしてくるのだ。

だから、死んでもう終わりではないし、死んでなお、人は浄土で生きるのだ。

霊存するというのは、つまりは娑婆の縁尽きるということであり、浄土に生き続けている体感を得るということなのかもしれない。

そして自分もそこにいく。

そう思わせてくれることが、本願であり、回向なのだとしたら、自分は心から浄土真宗でよかったと思うし、これからも、この教えを灯火として生きていく。そう強く思った。

そして、人間の寿命がそこそこの長さで、よかったと思うし、絶対に不死になんかなりたくないなと思う。

POSTED @ 2012.02.29 | Comment (0) | Trackback (0)

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