Title: 絵本。

たまに絵本を読んでいて思うことがあったのです。

この絵本のなにが面白いのだろうと。ただ、豚が餌を食べてるだけの話じゃないか。ただうんこをしたというだけの話じゃないかと。

そんで自分の選ぶ本はどうしても道徳がましい、蘊蓄がましい本ばかりを選んでしまうのです、例えば、喧嘩をして仲直りをする話だとか、心の優しい赤鬼が泣いちゃう話だとか。

そういう、これを読ませたい、ここから教訓を得て欲しいなどと思って買い与えた本は、少なくとも、3歳から5歳くらいの子どもたちには不評だ。

例えば、本を読んであげるからなんでもいいから持っておいでというと、大抵は「この絵本のなにが面白いのだろう」がくる。そしてその本を読んだときの子どもの反応はものすごくいい。

なぜだろうかと思って考えたのだけど。

おそらく幼少期3~5歳の子どもは絵本を読んでいるときに、それは絵本の内容を聞いているのではなく、うまくいえないけど、絵本の中にはいっているような気がするのだ。

絵本を読んでいるときの反応をみていると、例えば、次のページで大きな魚が迫ってくるであろうシーンのページをめくろうとすると、多くの子どもは目を閉じたり、きゃーといったり、あぶな~いといったりする。(むろん絵本を読むのがうまいという前提のもとだけど)

それをみていて、ああ子どもたちはこの本の中にいるのだなと。

大人が本を読むときは、それを第三者として読むことが多いと思うのだけど、子どもは絵本を読むときに案外当事者なのだなと。そう考えて子どもの好きな絵本を並べてみると、たしかに、子どもの感情移入しやすい言葉選び、場面選び、そして感情移入しやすい工夫がされていたりする。絵本を作る人というのはすごいものだ。そういうものを巧に織り交ぜているのだ。

そこで自分がその世界に入り込むことでイメージの世界を広げ「想像する」という力を育んでいくのだなと。人間は想像できないことは実現できないし、想像できることは必ず実現できるなんてことを誰かがいってたななんて。

そんなことを考えている時に、ふと阿弥陀経をあげていて。

舎利佛~というところにはいってみようと思ったのです。いつもは第三者として、仏陀が舎利佛に話しかけている場面を眺めているだけだったのだけど、実際にインドでみた祇園精舎を思い出して、そこに座って、自分が舎利佛だとして、これを自分に言われているのだと思って読んだのです。

ってか聞いてるし。他に1250人も人いるのに、名指しされすぎて逆に集中できないわ!恥ずかしいわ!って思いました。


*

子どもに、一番好きな遊びをしようとか、一番好きなものの絵を書こうとかいう声かけをたまに聞くのだけど、黙ってたら二番目に好きなもので遊び、三番目に好きな絵をかくってこたないし、そもそも一番ってなにっていうひねくれたことをおもっちゃうのさ。

POSTED @ 2014.10.07 | Comment (0) | Trackback (0)

コメントを書く。