Title: ツイート備忘(デモについて)

デモの中継見てるのだけど。少なくとも画面に映るこの人達が冷静だとはとても思えない。ちょっと落ち着けよとか思ってしまう。ここまでくると宗教ににた熱の帯び方をしてる。いくら正しいことをしていてもこれでは駄目だ。相手と温度差を生むのではなく融和できるくらいの温度差のほうが効果あるだろ。

デモってプロセスをはしょって結果だけを求めるように見えるから違和感だし、温度差を招いてしまうんだよな。それをちゃんと埋めることができればこれだけのマンパワーはすごい力があるのに。

自分の中でデモに対して思うことと右翼団体に対して思うことというのはすごく似ている。日本が好きだからこそ周りと温度差を生みかえって孤立するような国粋的な行動はやめてほしいし、原発に頼らないエネルギー社会を望むからこそ、賛否両論生むような熱を帯びた主張で問題を対局化させないで欲しい。

ツイートや世論をみてると反原発活動(デモを含)とその行動の問題点を指摘する人達との対局化と温度差が目立ってきているように感じるが、そこで対立構図ができたらそれこそ思うつぼでしょ。原発に変わる代替エネルギーが必要なのはほぼ大半の人間の中でコンセンサスはとれている。

そのコンセンサスを主張する方法論でぶつかり合わせることで本題をぼやかせるのは大きな問題を煙に巻くときの常套手段じゃないか。

大規模なデモが行われ、デモの温度が高まれば高まるほど、あんなに熱くならなくてもねという人が増えてるのだと思う。人間ってそういうものなんだ。必ず大きなムーブメントには反比例の力が動き出す。だから極端によらないで、冷静に問題を考えてしっかりと着実に遂行していくことが重要ではないか。

怒ったらそれだけで負けだ。目が曇る。目が曇ったままでは必ず共感性を失う。


POSTED @ 2012.07.03 | Comment (0) | Trackback (0)

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