Title: Just as long as you

だれかにとっちゃどうでもいいようなことだとしても。

身体を洗ってから湯船に入るのと、洗わずに入ったときの体感の違いとか、アップしてから走ったときと、しないで走ったときの身体の温度の変化の違いとか、深く呼吸をしてから大舞台に臨むのと、そうじゃないときに臨むときの心臓の早さの違いとか、雨とか夜とか夏のにおいを感じてるときの首から下の力の抜けた感じとか、ご飯をよく噛んで食べたときとそうじゃないときの味覚の違いとか、興奮しているときとそうじゃないときの視覚的な変化とか、寝不足の時の許容範囲とそうじゃないときの許容範囲の違いとか、後ろめたい気持ちのある時のとそうじゃない時の言葉の選び方とか、ふんばれるラインと折れるラインのわずかな境目立ってる時の気持ちとか、ほんとにどんな些細なことでもいいけど。

自分は、自分の中に起きるそういう小さな違いや、自分の中におきる微かな変化をみつけて、自分取り扱い説明書に書き込んでいって、その説明書がぶ厚くなればなるほど、いままでできなかったことができるようになったり、見えなかったものが見えるようになったり、たどり着けなかったところへたどり着けたりすると信じている。もっといえば、深く深く自分に目を向ける癖がついて初めて、誰かの小さな変化に気づけるんだと信じている。自分の進むべき道はその道だと言い切れるし、迷いなくこの先の10年をそうやって進んでいこうと思ってる。

鼻毛出て、眉毛をかくのを忘れて、チャック全開の人が、誰かの些細な変化に気づいて手をさしのべたり、そこに寄り添うことなんてできないし、なによりもそんな人に寄り添われても、ひとときくらいの安心は与えられても、それは傷口に絆創膏はるようなものにしかならないんだろうと思ってる。

そんなことを思いながら、だから自分にとって書くということも、そういう姿勢の中での1つのツールとして必要だからやめられないのだろうなと思った。

なんか、ほんといつも自分は自分の事ばっか考えてて、どうしょうもないくそ凡夫だと思うし、どこかでそれを止めなきゃいけないんだということはおぼろげながらも頭ではわかる。

それなのに、もっともっと、自分がどういう人間で、誰かにどう思われたくて、どう思われたくないのかとか、失っても大丈夫なものと失うと苦しいものとか、どういうことが評価されて、どういうことが人より劣っているのかとか、自分の中にあるものを知りたいし、自分の中におきる変化を知りたいし、湧いたことのないような感情を味わいたいし、たくさん裏切られたいし、泣きたいし、笑いたいし、悔しがりたい。そんで最後の最後にどうやって老いて死んでいくのか味わいたい。

生き方なんていうと大げさかもしれないけど、そういう自分本位な生き方はやめようとか思っても、いまさらやめようにもやめ方すらわかんないなとか思って、軽く開き直っちゃえばいいかなんて思ったら、なぜか忌野清志郎の歌うSTANDBYMEを思い出した。

No,I won't be afraid Oh,I won't be afraid Just as long as you stand by me,

POSTED @ 2011.03.07 | Comment (0) | Trackback (0)

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