いくつになっても、檀家のおじいちゃん、おばあちゃんからしたら、自分は坊やみたいなものなんだろうな。と思って思い出したのだけど、
昔あるお寺の先輩が、ちょっとやさぐれてたときに、特攻服きて単車をおして家をでると、近所のあばあちゃんたちに、「あれあんたまたお出かけかいね、どこいくね?」といつも声をかけられるもんで、その度に「ちょっとそこまで・・・」とかいって苦笑いをしながら家をでていたという、さすがにそれが続いて、決まり悪くなって最終的には暴走やめたという話を思い出したのだけど、そうやって声をかけてくれる人がいることは時に煩わしいのだけど、でもやはり今になって、自分の成長やなりゆきを見守ってくれる人が多いにこしたことないなと思う。
いまはそういう煩わしさには蓋をしがちだけど、そこにも必ずメリットはある。そのメリットがこれから先の社会形成に大きな力になると思う。
お寺という場所が誰にとっても、そういう関係を築くための媒体になれればいいと思っている。