Title: ビーンボール。

ある記事で徳光さんが言っていた。

最近のプロ野球は乱闘が少なくなった。昔は胸元へえぐるような一球を投げて、相手をのけぞらせ、のけぞらせたほうがなにくそと思って奮起する、そういうピリピリするような勝負の中で、選手は切磋琢磨してた、だからスーパースターというのが生まれるのだと。

最近の選手は仲がいいからね、なかなかそんな一球を投げるなんてことはできないし、だからこそスーパースターが生まれにくいのかもしれないねと。

これってどこの業界でも同じなんじゃないかと思う。

仏教界でもそうだと思う。

明治の頃、清沢満之先生を中心に全国から集まった若者の中には、月見覚了氏、暁烏敏氏、多田鼎氏、佐々木月樵氏など錚々たるメンバーが共同生活をして、のちにはそこに曽我量深先生も加わることになるのだけど、彼らの時代は日々熱く信仰について語り、清沢先生の「内観」の意義を問い返し、時にぶつかりあい、切磋琢磨をしてたのだろう、時に胸元へえぐるような一球を投げ合いながら。

昔じいちゃんが戦後、大学に行ったときに、講堂の中で、曽我先生が講話をしていたときの話をしてくれた。

小さい講堂の中に、何十人もの学生がひしめきあって、曽我先生の言葉の一つ一つを食い入るように聞いていたという、その中で、ぼそぼそと話す曽我先生の言葉の鋭さと、オーラにじいちゃんは、大学に残ることを決意したという。当時の谷大ではあちらこちらで、自分のご了解をぶつけあい、時には胸ぐらをつかみ合うぐらいに息巻いてる空気がただよっていたという。

インドのナーランダに行ったときも思ったんだ。

大昔、ここには全世界から、仏教だけでなく信仰をもった人間があつまって、息巻いて、あちらこちらで自分の持論をぶつけあって、信仰をぶつけあって、切磋琢磨してたんだろなと。いまは遺跡しかないけど、あの場所に行ってあの造りをみればその空気をリアルに感じることができたし、その熱はまだ消えてないようにすら感じた。

蓮如上人のいた吉崎御坊の復元図をみたことがあるが、それはまさにナーランダにも通じるような空気が流れていたのだろうと思ったことがある。

最近はなんでもかんでも正しいことを言わなきゃ叩かれるとか、うっかり自己主張すると炎上しちゃうとか、そういうのにびびって思ったことも言えなくなってんだ。僧侶だって同じだ。

そんなんじゃなんだって廃れていくだけだ。

自分への自戒も込めて。

志を高くもてば、むしろぶつかり合って火花散らすことはなによりの喜びのはずなのに、せっせとそれを避けて、強い主張や、熱い想いを振りかざす人間がいたときに、涼しい顔して、ああ熱いねぇなんていって遠巻きにみてるなんてくそくらえだと思ってる。

正しいとか間違ってるかとか揚げ足とるような議論じゃなくて、もっとお互いが根っこにある信仰や、体感や、思想を高め合うために、むしろ相手を打ち負かすだのどうじゃなくて、自分を必死に押し上げたいが為の議論がしたい。

お互いが胸元をえぐるような球を投げ合って、なにくそこのやろうと、時に乱闘しながらも次は絶対場外までホームランにしてやるからなと言うくらいの生き甲斐で仏教の話がしたい。

信仰とか思想とか、そういうものをもっと深く高く、そして広く押し上げていきたいのなら一人でしこしこ指くわえてたってたかがしてているのだ。

そういう空気を共有できる仲間とか、そういう人間が集まる僧伽がほしい。

岡本太郎もいってるさ。

「オレは進歩と調和なんて大嫌いだ」

「お互いに頭を下げあって、相手も六割、こっちも六割、それで馴れ合っている。そんなものは調和じゃない。ポンポンとぶつかりあわなければならない。その結果、成り立つものが調和だ」

ってさ。

それと、宗教や信仰の面白いところは、どんなに古い本を読んでも、どんなに昔の言葉でも、色あせてるどころか、斬新で新鮮で、いつだって目から鱗を落とされるような言葉を見つけられることだなと思う。

悶々。

POSTED @ 2012.02.02 | Comment (0) | Trackback (0)

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