Title: Polaris
今日は朝から訳あって穴を掘っていた。大人がすっぽりはいるくらいの穴をせっせと。それを砂袋に詰めて土嚢を積み上げる。
訳とはいっても、とりかえしのつかないことをしてしまって、なにかを埋めようとか、誰かを落としてやろうとか、誰かが攻めてくるとかそういう類のものではないのだけど、とにかくせっせと穴を掘っては砂を詰める。
ただ穴を掘るとはいっても、これなかなかの重労働。
慢性運動不足の四肢はすぐに白旗をあげる。
でも何事もここから先がおもしろくなってくるってなもんで。
疲れ切ってはじめて、無駄につかってた筋肉を最小動作で使えるようになってきて、腰に負担のかからないスコップさばきも身についてくる。昔真剣に運動やっててよかったなと思うのはこういうときで、自分の身体や筋肉とかの動きにすぐ意識をもっていけるようになったのは、泣きながらでも陸上をやってきたからこそ身についたものだろうと思う。
とはいえ、いくら動きがわかったところで、もう動かないぜ。乳酸全開だぜというポイントはすぐにくるもんで、そこで作業を切り上げて、お昼ご飯をたべてたら眠くなってきて、午後はできれば大の字になって、もっと贅沢をいうならハンモックにゆられて眠りたい、とおもいつつもそうもいかないので、パソコンに向かったところ、エクセルとか開く気にならないし、電卓とかたたく気にもならないので、今こんなことを書き綴っているわけです。
特に書くこともないのだけど、指を止めたら寝てしまいそうなので、もう少しキーをたたいて目を覚まそう。
博多から帰ってきて、そのままずるずるっと仕事をしていて、明らかに身体が疲れているわけです。でもはっきりいって、土日めいっぱいに遊んでいただけで、どこをどう自己肯定しようと遊んでいた以外のなにものでもないので、ああ疲れた・・・ということを口にしないように心がけているのだけど、さすがにこのとしになると気力だけで乗り切れないことがあるものなのだと思う。
でもそうやって脳みそにリミッターをかけると、きっともうそれまでなので、なんとか気力でのりきろうと思ってipodをいじりながらなにか、自分の中にぐぐぐっと流れ込んでくるような一曲はないかと思いなやんでいたら、うちのipodが桑田佳祐のそれいけベイビ-!!を薦めてきたので、それをきいていたら、いい感じにふわっと身体も軽くなり、なんとかやりすごせそうな気がした。
その時にふと思ったのだけど。
気力でがんばるぜ!なんて意気込んで力を無駄に使ったら本末転倒なのだ。がんばらなきゃいけないときこそ、無駄な力を弛緩させるべきなのだ。そしてその力を大事なところにまわすべきなのだ。そして力の使いどころを間違わないようにすることなのだ。
これは筋肉の使い方にもよく似ているなんてつながったりする。
そして何事も力を入れることよりも弛緩させることの方がはるかに難しいのだ。
まえにとあるサッカー選手の対談で、パスがうまいとか、シュートがうまいとか、そういう選手はいるのだけど、サッカーがうまいという選手はそんなにいないよねと言っていた。
なんか、旅をすることも、仕事をすることも、話すことも、遊ぶことも、お経でも法話でもなんでもいいのだけど、もっとうまくなりたいことはたくさんあるのだけど、結局のところやっぱ自分はうまく生きていけるようになりたいという一言に結びつくのだ。
生きるのがうまいね。というのは時にほめ言葉にも皮肉にもなるのかもしれないし、そこに数字が伴うかどうかということもわからないのだけど、人間でいることをもっとうまくこなしたいし、生きていくことをもっとどん欲に上達させたいのだ。
だから、迷ったら消去法で、うまく生きていける糧になる方を選ぶのだ。
じゃあうまく生きるってなにさって。
それはきっと言葉の中には見つけることが出来なくて、うまく生きているときには、ここでいいんだとわかるような体感のもとにあるようなもんじゃないかと思う。
字面を追っていけるのは、富士山で言えば、3合目くらいまでなんだと思う。
な~んて言っているうちに、消化にとられていた血潮もすこし頭のほうに流れはじめて眠気もとんできた。
さあて昼休みおわり。仕事仕事。
今夜は焼肉をたべる。
午後はそれをポラリスのように目指すのだ。
POSTED @ 2011.06.03 |
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