Title: ぷちっとな。
ぐるぐるまわって堂々巡りしながらも少しづつ前へ、ぷちっとな。
自分にできることの再確認、あれこれ欲張るのではなく、武器をより磨くのだ。
何度も剣を振ってみて、つかんだようで、振り出しで、
あれやこれや悩んで、体や心のバランスがちぐはぐでも、
あれやこれや横やりがはいって、世界中で自分が一人だけだと感じても、
座り込んで剣を落としても、もうこんなものを振り上げたくもないと感じても、
それでもまた落ちてるこいつをもちあげて、何事もなかったかのように、
重さを確かめながら、少しづつ振り上げるしかない。
いや、本当は振り上げることは喜びなのだ。
心はいつだって流転する、喜びは疑心を生み、疑心は不信を生む。
それは自分自身に対する不信。
その不信は、一瞬で自分を飲み込んで、いつしか喜びは恐怖であったと、
そんな錯覚につかまることもある。
それでもそのトンネルの中で手の中にあるものの重みをしっかりと感じながら進むしかない。
*
自分にしか見えない視点を獲得したい。
この視点でみた世界を、こんな世界もあるだと、自信をもって伝えたい。
その視点を維持するということは簡単なことではない。
その視点から離れるときに、自分は焦燥するし、恐怖を感じるし、
自分の立戻し方がわからなくて、ずぶずぶとなにかに飲み込まれて、足元から消化されていくような怖さを感じながら、必死でなにかにつかまろうとする。
*
それは無意識に手にした谷川俊太郎の言葉かもしれない、耳の中からでてきた砂の感触を感じたときかもしれない、もぐらの穴をみつけたときかもしれない。
0が1につながったときかもしれない。
ほしい答えはいつだって目の前に落ちているのに、それを曇らせているのは、この脳みそ一つ。
*
感性の目線を曇らせるものは、社会の中で生きていくときに必要なものなのかもしれない。
子どもに戻ることはできないし、大人で生きることしかできないけど、
でも子どもの目線を維持するために、大人に必要ななにかを失うのであれば、
それはもう取りこぼすべくして取りこぼしていくのだと、
覚悟を決めて腹をきめるのだ。
その目線は、きっと根幹で生きることに、そして念ずることに必ず結びついている。
*
味わいながら生きるとき、必要なものは意識や集中ではない。
まず自分を0にすることだ。
味わうとは、脱力だ、力まず、計らず、この今を。
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POSTED @ 2017.04.19 |
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