Title: 何周も。
想いなんてもので飯が食えるのかと。青臭いことを吐きそうになる自分自身に言い聞かせるような、そんな想いにとらわれていた時期もある。
しかしながらここにきて思うのは、想いで飯は食えるということだ。それは願えば叶うとか、思い続けたら想いは通じるとかそういう類の話ではなく。想いをカタチに結びつけていくことで想いは現実になる。その手順が少しわかってきたような気がするということ。
目に見える現実の多くは想いの上に成り立っていて、想いのない現実のカタチには力がない。
しかしながらその想いというもは水物で、外にあふれ出した瞬間から霧散していく。人間はその瞬間の想いを消えることなく凝固させたくて、あの手この手でそれをカタチにしようとするのかもしれない。絵に、行動に、歌に、建物に、それぞれの仕事に。
人は本来生きているだけでいろいろな想いを抱えていて、瞬間瞬間に心の奥底から吹き出さんばかりの想いがあふれているのだと思う。でもその多くは、揮発性の高いガスみたいに生まれた瞬間に消えていく。
その消えゆく想いの何%かを自分の人生の中にカタチとして完成させて、積み上げていく。
その積み上がったものが自分というものをつくるのだということが頭ではなく、お腹あたりのところでわかってきた気がする。
POSTED @ 2015.11.08 |
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