Title: Φ。

しばらく身体を動かしていないと、身体がなまってくる感じがする。

それがどうにも気持ち悪いのですこし身体を動かすと、全身に血流がまわって、身体がほぐれてすっきりする。

頭も同じなんだろうと思う。

なにかを考えている時に、頭の中を血流が回って、ほぐれてすっきりするような感じが心地よかったりする。「脳は大食いだから」と3月のライオンの中の台詞、身体の疲労は休めば回復するけど、脳の疲労はブトウ糖でしか補給できないそうだ。

考えるっていうのは、言い換えると、自分の経験の中から、様々な例を目の前の事例に重ね合わせて、自分の中でカテゴリーわけして、納得する理由、もしくは大義名分であったり、動機付けを探すことなんだろうと思う。

だからきっとある程度まで来たときには、そのスパイラルをぶっ壊さないと思考の幅って広がらないのかも知れない。

つまりはわからないということに気持ち悪さを感じるのではなく、わからないことをにわくわくできるような感覚を取り戻すことができて初めて次のステップに進むのかも知れない。

最近なんでもその繰り返しなんだということを痛いほど感じる。

長年できた常識とか習慣に埋もれたところで成長はおしまいだ。

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めんどくさいやつだと思われたくないという気持ちと、めんどくさいと思われてもいいやという気持ちと、そのバランスが自分の心のバランスそのものなんだろうと思う。

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どんなことでも、いくらでも難しく伝えられるし、いくらでも簡単に伝えることはできるのだと思う。
ただ後者の方が極めて難易度が高いという話で。

どうで挑むなら難易度の高い方に挑みたいっていう気概だけは忘れないようにしたい。

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言葉ではなく、文字でなく、仏教を伝えることができる方法が必ずあるはずだと思う。

今の自分にそれができないのは、まだまだ言葉や、文字や、小手先でしか仏教をいじくりたおしてないからだと思う。

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仏法って、丸太の上に立ってバランスをとるようなものだと思う。それがなんでなのか昨晩夢うつつの中でだいぶ説得力のあるところまで検証できていたのに、目がさめたらその肝心な部分が思い出せない。

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世界はΦでできているのだ。

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POSTED @ 2012.09.24 | Comment (0) | Trackback (0)

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