Title: 自灯明 法灯明

なんか悶々してたらタイムリーな中村元先生の言葉にはっとした。
最後の自灯明 法灯明のくだりだけ備忘のために、文章に残しておく。
なんかやはりクシナガラに行きたくなってきた。

仏教の教えというものは、この上に輝く日月のようなものである。

太陽や月があらゆる人を照らすように、仏教の教えの真理というものは、あらゆる人に明らかなものであり、あらゆる人を照らすというわけです。

続けて釈尊はこういわれました。

もしも自分が人々を導くのであるとか、あるいはこの修行者の仲間が私を頼っているとか思うならば、私が死ぬということは大変な事であろう。しかし私は自分がみんなを導くなんて思ったこともない。

またみんなが自分を頼りにしているなどとも思わなかった。

自分はただ人々のよるべき真理、真の生き方というものを明らかにした、それだけなのだ。

だからなにも自分が消えて亡くなったからといって嘆き悲しむな。

およそこの世のもので、いつまでも破れないで存続し続けるものは何もない。

いつかは破れ消え失せるものである。その道理を私はおまえたちに今まで説いてきたではないか。ただ私はそこにある一貫した真理というもの、それを説きあかしてきた、だからそれに頼れ。

この変転常ない世の中では、まず自分に頼るべきである。

自分に頼るとはどういうことであるか。

自分はこの場合にどうするべきかということを、その場合、その場合に考えることでしょう。

その場合なにを判断基準にするのか。

それは「人間としての道」「法(のり)」インドの言葉で言うと「ダルマ」と呼ばれるものです。これを「法」と訳しますが、この人間の理法というもの、これに頼ること「自己に頼れ 法に頼れ」

これが釈尊の最後の教えでありました。





POSTED @ 2011.12.26 | Comment (0) | Trackback (0)

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