仏教の教えというものは、この上に輝く日月のようなものである。
太陽や月があらゆる人を照らすように、仏教の教えの真理というものは、あらゆる人に明らかなものであり、あらゆる人を照らすというわけです。
続けて釈尊はこういわれました。
もしも自分が人々を導くのであるとか、あるいはこの修行者の仲間が私を頼っているとか思うならば、私が死ぬということは大変な事であろう。しかし私は自分がみんなを導くなんて思ったこともない。
またみんなが自分を頼りにしているなどとも思わなかった。
自分はただ人々のよるべき真理、真の生き方というものを明らかにした、それだけなのだ。
だからなにも自分が消えて亡くなったからといって嘆き悲しむな。
およそこの世のもので、いつまでも破れないで存続し続けるものは何もない。
いつかは破れ消え失せるものである。その道理を私はおまえたちに今まで説いてきたではないか。ただ私はそこにある一貫した真理というもの、それを説きあかしてきた、だからそれに頼れ。
この変転常ない世の中では、まず自分に頼るべきである。
自分に頼るとはどういうことであるか。
自分はこの場合にどうするべきかということを、その場合、その場合に考えることでしょう。
その場合なにを判断基準にするのか。
それは「人間としての道」「法(のり)」インドの言葉で言うと「ダルマ」と呼ばれるものです。これを「法」と訳しますが、この人間の理法というもの、これに頼ること「自己に頼れ 法に頼れ」
これが釈尊の最後の教えでありました。