Title: おぼうさん。

お坊さんという仕事には、長距離ランナー的なスタミナ配分が求められるのだなということを、毎年お盆やお彼岸を迎えると感じるのです。100m走りきれば終わり!というような境目がなく、お盆が終わったら終わり!かといえばそういうわけでもなく、そのままお通夜や葬儀が重なってはいることもあるわけで、一区切りを出し尽くして寝込むなんてことはなかなかできないわけです。

いい意味で余力を残しつつ、長いレースの途中でエネルギー切れにならないようなペース配分をしなければならないわけで。

そうおもって、お寺に生まれ、お寺に育った人たちを思い浮かべてみるに、その長距離ランナー的スタミナ配分が自然に身についている人が多いように感じる。大きなイベントや行事のあとにそのままお通夜にいく姿や、自分なら座り込んでしまいそうな時にも顔色一つ変えず月参りにいく姿や、どんなにプライベートに大事な予定があっても、通夜葬儀の為になんのためらいもなくキャンセルできる姿に幾度となく頭が下がる思いを覚えるわけです。

それは言い換えれば、いつもどこか、体力と心に余力と残しているともいえるのだけど、つまりはお坊さんっていい意味で手の抜き方もうまいんだろうと思う。がんばりすぎず、出し切りすぎず、思いつめすぎない、休みどころにはしっかりさぼるという特性があるように思うのです。

なので、普通に社会で生きている人から見たときに、なにかのらりくらりしているような、出し切っていないような、だらしないように見える部分があるのも事実なんだろうと思う。どこか飄々としていて調子がいいような。具体的にいえば、自分の印象だけど、お坊さんってどこかゆるい所がある、一緒に仕事をしていると、時間や、〆切や、効率や時間配分など、ちょっとゆるい。

でも、そういうデメリットはしっかりと、お坊さんとしてのメリットに繋がっていて、ここまでしっかり働いたら週末は休み!とかここまでがんばったら座ってられる!とか、ここまでがんばれは電話にはでなくていい!とかそういう公私の切り替えができない中で、自分の気持ちと体力を持たせて、いつ何時不測の事態が起きても動けないということがないように、無意識に余力をのこしている結果なのかもしれない。

お寺に育ったか、育っていないかという部分でも変わってくるだろうし一口には言えないけど、お坊さんのそういうどこかちょいとゆるいところや、だらしなくみえるところをさしおいても、淡々とどんなときにもお参りに向かう姿や、だれかのために立ち上がる姿をみると格好いいなと思うのです。




POSTED @ 2014.07.15 | Comment (0) | Trackback (0)

コメントを書く。