Title: manuSya
気安くわかるなんていいたかないのだ。
わかろうといくら努力したってわかることができないものもあるのだ。
その人の中にある苦しみは、その人の中にだけあるもので、どっかのだれかにわかるはずがないのだ。
だからありきたりなこといいたかないし、気休めになにか言葉をかけるなんてことはしたくないのだ。
わかったふりするのが嫌なのだ。
当たり障りのない距離で、当たり障りのないこといって、なんとなく体のいい関係っていうのが嫌なのだ。
でもだからといってわかんないと開き直るのも嫌なのだ。
あれも嫌だこれも嫌だ。
このわがままにはどこかで折り合いつけたくないのだ。
物事は必ずしも解決すればいいってものではないし、必ずしも自己完結しればいいってものでもない。
そもそも簡単に自分で答えをみつけられるような問題ならばどこかの誰かの中で苦しみになんてならないのだ。
嫌だ嫌だとじたばたして右往左往して、自分なりにもがいて、そこでしてしまったことや、口をついて出た言葉が、今の自分のすべてであり、それ以下でもそれ以上でもないのだから、その自分を信じるしかないし、たのむぜ自分よといって足を動かすことしかできないのだ。
あわよくばそこからこぼれ出たなにかで、意図せずとも誰かの中にある苦しいことが少しでも軽くなれたらいいと思うのだ。
だから四の五の言わずに自分にできるのはいつだってただ淡々と進むことなのだと思う。
POSTED @ 2011.10.23 |
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