Title: うんたらかんたら。
あまくない。
あまくないあまくない。なにもかもあまくなんかない。
甘いと思ってもそれは甘くない。
月火水木金土日。
あまくない。
*
放射能がうんたらかんたら、右傾化してるなんたらかんたら、左傾化してるうんたらかんたら、煙草をすったら肺がんになるうんたらかんたら。しじゅうになったら顔に責任をもてうんたらかんたら。
結局のところどうどうめぐって正解はない。
どうでもいいってのはいい加減なことなんだろか。
あるがままありのまま、自分らしくなんて幻想。
自分の身を置く場所でうんたらかんたらはあちこちから降ってきて、
うんたらかんたらいいながら、自分もうんたらかんたら生きていく。
右に左に、上に下に、ふわふわと。
この一歩をしっかり踏みしめてるつもりで、その一歩に自分をしっかりもって流されない自分だなんて思いこみたいのもまた、ただのうんたらかんたら。
柳のようにふわふわとうんたらかんたらに流されて、最後には栄養吸わなくなって、朽ちてだけのうんたらかんたら。
どうでもいいっていってみる。
後ろ指さされてもどうでもよいといってみる。
ほんとはどうでもよくないけど、うんたらかんたらしがみつく。
そんなうんたら人生を、ありのままっていうのではなかんべ。
かっこいいは、かっこわるいの対義語じゃなかんべ。
*
成長ってのは経験が増えることで、経験なんてものは生きてるだけで嫌でも増える。
成長してないなんてことはありえなくて、息してうんこしてるだけでも、1日1日は経験だ。
長く生きるだけでそりゃ経験だ。
どうやったら成長するとか、成長するためにはフットワーク軽くだとか、成長するためにうんたらかんたらいうけれど。
そもそも成長っていうのは、得るだけじゃない、捨てることも失うことも含まれてて、ここでじっと座って、息してるだけで、いろんなこと経験しつつ、いろんなもの捨てながら、失いながら生きてるんだ。
頭じゃなくて、理屈じゃなくて、体感の中に。
んで、
おもうに、やはり、最後はなにか確固たる大人になるのではなくて、
ふわっとなんでもいいような人間になっていけたらいいなと。
結局のとこ、あらがおうともあらがわずともなるようにしかならんのだ。
POSTED @ 2017.08.21 |
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