Title: 1195-1
朝から、せっせと蓮鉢に砂と水をいれて、新しいメダカの住処をつくるのです。なんせ水が冷たくて、手の感覚もなくなるってなもんです。昨年から、試行錯誤してあの手この手を試しているのに、どうしてもメダカの繁殖だけがうまくいかないのです。
命が育まれるということには、本当に小さな要素がたくさん作用していて、なにか1つのバランスが悪くてもそのサイクルは鈍るのだな。
どうしたもんだろか。くそう。
そんなこの大寒。
たまには仕事の話。
思惑の違いによって、しばらく思うように進まなかった大きな仕事がここにきて急展開して動き出す。大きな仕事にはたくさんの人が関わる、たくさんの人が関わると、そこにはたくさんの打算と思惑が交錯する。
それを、時にじっくりと話し合い、時に時間をかけて、時になにもなかったようにやりすごして、少しづつ紐といていって、飛び上がり、そしてちゃんと着地させるところまで持っていくという作業はけっこう好きだったりする。
ただいつも思うのだけど、基本小心者なので、大きな金額を自分の判断1つで動かすという時のこわさみたいなものは、何度経験してもぬぐい去れない。
これが怖くなくなるときはあるのだろうか。
それと、こういうときに、税務署やお役所の対応の悪さや、たらい回し感にはいつも憤りを感じる。
少子化対策だ、待機児童を減らせ、保育所をふやせと、いってるくせに、こちらがいざ新しいことに挑戦しようとしたり、前例のないことをやろうとすると、どうしてこんなに動きをにぶらされるのだろうか。決定権のない現場レベルの担当者をたらい回しにされて、煙に巻かれたような対応にはもううんざりだ。
この状況でどうやってそのシステムをつくるのだ。
私立の幼稚園が私利私欲のために新しいプロジェクトを立ち上げたのならいいけど、待機児童解消や、共働きの家庭のサポートをメインに考えているのに、どうしてこうも決まった形でしか対応ができないのだ。
個人的に民間に共同事業としてサポートを頼むほうがいい気がする。
でもそうなるとまた思惑や算段が交錯するのももうめんどいし・・・とか考えて、最終的にいつも現場は身銭をきって、血を流してやるしかないのだ。
これは持論なのだけど。
30代になって、最低限の仕事のスキルは必要だけど、なによりも大事なのは、話す力と聞く力、そして人と繋がる力だと思う。どんな仕事でも、どんなプロジェクトでも、最後は人と人なのだ。
だからこそ人と人の間にはいる力はなによりも重要なのだと思う。話すこと、聞くこと、伝えること、誰でも簡単にできると思われがちだけど決してそうじゃないと思う。
この力はなによりも重要であり武器になりうるものなのだと思う。
人と人だからこそ、そこにはノリシロもあるし、幅もあるし、その余裕がよりよいサービスやアイディアを生み出すのじゃないか。その流れやその熱をもっともっとあげていけば、世の中はもっと楽しく、そしてよりよいサービスが充実するのに。
いいよいいよ。
こうなったら自力でやって結果出してやるから。
ふんだ。
POSTED @ 2012.01.17 |
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