Title: 犀。
金木犀をいい香りだと感じるのも、トイレの芳香剤みたいだと感じるのも、結局は自分の心持ちの問題。
匂いはなんら変わらない。
世界は淡々と過ぎていくだけで、誰かにとっての素晴らしい今日も、誰かの絶望的な昨日であるし、誰かの生きられなかった明日でもある。
ニュートラルなものを脂っこく時に淡泊に。
塀の上に登ったり、木の上に登ったりするのが好きなのは、それを克服した充実感よりも、そこから落ちるかも知れない焦燥感を得たいからなのだ。きっと自分にとってはそれが生きた心地なんだと思う。そんでそれはすりむいた傷跡をなめて鉄の味を感じるようなもので、その味に自分を認識して安心するようなものなのかもしれない。
子どもの時はそういう経験をどんどんすべきだといって育てられるのに、大人になったとたんに体験を経験値に変えようとすると、いろいろな制約や責任がまとわりついてくる。
本音とか建て前とか、体裁とか見栄とか、そういうのは時に大切なのだけど、本当はそういうものだけでは取り繕えなくなってからが人間関係はおもしろいのに。
でもそういうものがぶつかり合うのは結局最後の最後だったりする。
大人になって許容範囲が狭くなるのは、きっと自分の築き上げたものを守りたいという自己保存が働くからなんだろうな。守らなきゃ保っておけないようなものなんか本当はそんなたいしたもんじゃないのに。
犀の角のように。
犀の角のように。
犀の角のように。
POSTED @ 2012.10.17 |
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