少年の殺害のニュースも、どこかの家具屋の話も、昨日の自分の愚痴も、ひいてはなんちゃら国だって。
つきつめていくと、人間ってほんと、環境とか育ってきた背景とか、そういうものの影響で、意図してまた意図せずとも、どんなことでもするし何色にでも染まる。そこにある壁をぶちやぶるのはなまじっか簡単なことではない。
信念というと聞こえはいいが、頭で考えて行動すること発言すること全て、なんらかの思惑や動機付けがあって、その思惑や動機付けはもう意志をこえて、様々な縁に左右され翻弄され、時に都合良く歪曲される。
人間はその影響を決して無視できないし、その影響に簡単に飲み込まれるくらいからっぽな生き物なんだなぁと。そのうえ厄介なのは、それに気づきもしないで、自分の分限をどこまでも主張したくなるし、時にそれをしないと喪失感すら感じることもある。
そんな存在そのものを、悲しむ心、慈しみ哀れむ心を大慈悲と呼ぶのだとしたら、いそぎ仏になりての言葉にとても深く頷ける。
お念仏しかないわほんと。