Title: ほいく。

唐突に話をはじめるけれど。

子どもと関わる仕事をしていて感じる事。

保育という仕事において、またそれは子育てをする上でも一番大切なことは、見えないものをどれだけ読み取るか。見えない部分をどれだけ慮ることができるか。そのアンテナをはりめぐらせて、研ぎすましておくことだと思ってる。

長いこと現場にいると、それがいかに大切な事か、それがいかに子どもに影響を及ぼすのかということを痛感する。

例えば、朝子どもが園に登園してきて、顔色を見て、なにかいつもと違うな、調子が悪いのかな、それとも朝でがけに怒られたのかな、それともなにか友達と喧嘩したのかなと、想いを巡らせてその子をみるだけで、意識しなければ見えなかったはずのものが見えてくる。それが見えてはじめて「見守る」ということもできるのだ。

このアンテナの広さと精度はそのまま保育者のレベルであり、質なのだと思う。

子どもは自分の想いを大人のように言葉にしてうまく表現することもできないし、受け流すこともできない。そういう時は無意識のうちにたくさんのサインを出している。その小さなサインを見落とさないこと、そのサインは大人の思う以上に大切であること、これは子どもと関わる上でつねに頭に入れておかなければいけないことなのだと思う。

なんでそういうこと言うのか。なんでそういうことするのか。なんで言うことをきかないのか。

それもまたサイン、それが子どもの心の何を表しているのか、1度立ち止まって考えると、その時には見えてこなかったことが見えてくるかも知れない。

それを汲み取ることができる能力を磨いて、備えているからこそ、親は幼稚園に安心して子どもを預けてくれるのだと思うし、見えないものを見る訓練をしっかりと積んでいるからこそ先生というのは一目おかれる存在なのではないかと思う。

もちろん、目に見えることにしっかりと対処する能力も大切なのだけど、それと同じくらい、目に見えない部分にどれだけ自分が作用できるかと言うこと考えることは大切な事だ。

これは保育だけではないのだと思う。

昔、火を消すのがうまいだけの消防士はまだ2流だという話を聞いたことがある。火をださないために自分は何をしたらいいのか、むしろ消防士なんか1年に1度も出動しないにこしたことはないのだ、いうなれば、たくさん出動するということは、それだけ日々の消防に意識ができていないとも考えられるのだよという話を聞いたことがある。

僧侶も然り、道に迷って苦しんで宗教を頼らなくてもいいように、身近な人達に普段から作用しておくこともまた大事な事なのかも知れない。

どんな仕事をしていても、ある程度の経験を積めば、目にはうつらない部分に自分の力をいかに作用させるか考えるということが必要になるし、超えなければならない壁のように感じる。





POSTED @ 2013.09.05 | Comment (0) | Trackback (0)

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