Title: 用心深く。
例えば、一杯の水が超貴重品で、コップ一杯で数千円もするくらいに希少価値があったとしたら、蝉の声をききながら、うだるような暑さの中で飲む一杯の水に対する気持ちは今よりもきっと特別なものになるのだろうな、そのたった一杯の水を飲むというだけのことだけで、その瞬間は至福の時にすらなるのかもしれない。
それはきっと今日が最後だと思えばどんな日でも色鮮やかに見えるようになるのと同じなのかも知れない。
結局そんな程度のものなんだ。
この人生が色鮮やかかどうかなんてのは、そんな畳の敷居くらいの境目で隔てられている。
夏の空気とか、匂いとか、風とか、そういうものを一粒も無駄にしたくなくて、無駄に深呼吸してみたりして、身体の中にはいってくる生ぬるい空気が自分の境界線を曖昧にしていくような感じを存分に味わう。
1年分。
無駄なくよどみなくしなやかに。
どうしょうもなく嫌なこととか、全部投げ出して逃げ出したいこととか、そういうものはいくらでもあるのだけど。
そういうくそみたいなものがちりばめられているからこそ、この一服の夏が最高に輝きを増すのだと、昨日の赤提灯の帰り道にふつふつと思った。
神楽坂のとある坂道の電柱の下にお花が供えられている所があって、もう神楽坂に通い始めてからずっとそこに花は供えられていて、そこには、「すみません気持ちの整理がつくまで花を供えさせてください」と書かれていて、いつも新しいものに差し替えられている。もう何年も。
神楽坂で飲んだ帰り道はできるだけその坂を下るようにしている。
そんでそこの花が新しいものに替えられているのをみて、手を合わせると、なんかほろっとしている自分の中にぴりっとなにかが走るような気がして、そこにある想いと自分の中にある想いの温度差がぐるりと身体の中で一回転するような気がして、生きているというのは一体どこからを指すのだろうかなんてことを考えながらとぼとぼと歩いたりする。
そんなことに答えはないのだけどね。
さて明日から存分に夏を浴びにいく。
びば夏やすみ。
POSTED @ 2012.07.31 |
Comment (0) |
Trackback (0)