Title: ra
昨日の夜なかなか眠れなくて、暗い部屋でぼけっとしながら思ったこと。
昔、腐るほど時間があって、でもその時間の使い方をもてあましていたときには、初めて旅という文字を作った人は誰なんだろうかとか、人間が音楽にドキドキわくわくするようになったのはいつからだろうかとか、そんなくだらない無駄なことを考えては、その妄想になにかを満たされていたような気がする。
今、自分の思うことには無駄なことが少なくなった。一文にもならないようなことではなく、考えることでそれが何文にもなると思えるようなことばかりだ。
憚らずにいえば、いろんなことが見えるようになって、視野が広がって、いろんなことを経験してきて、今の自分はどこか何かをあきらめている。でもそれをあきらめるというのは、明らかに見ることだなんてことを大義名分にして、お守りのようにして、そんな自分を正当化して生きているし、その生き方になんの疑問もないとか思う。
でも昨日、夜風に吹かれていたら、何の前触れもなく唐突に、今の自分が浮き彫りになって、プチッとなんかにとらわれすぎてたなと思えて反省した。
なんか、例えるなら、どこでもドアがなくて本当によかったと思えるような所に幸せがあるんだと思える自分と、がむしゃらにどこでもドアをほしがる自分と、その両方が共存していていいんだし、その両方がいてはじめてどちらにも光があたるのだろうなということだ。
自分の心や感性のグラフがあるとしたら、ここから弧を書くように大きくカーブしていけるのだろうか。
自分の「ラ」がどこにあるのかをしっかりと聞き分けるにはまだまだなのだな。
POSTED @ 2012.03.30 |
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