Title: じゃき。

最近邪気みたいなものにすごく敏感になったように思う。

それを邪気と呼んでいいのかわからないけど、

例えば、もっと自分を認めてよ的なものだったり、おれおまえより頑張ってるよ感だったり、お前にはおれの気持ちなんかわからないよだったり、おれはこれできるけど君にはこれできないよねだったり、おれ友達がたくさんいるんだよアピールだったり。みんな気付いてないところに自分は気づいているよだったり、それは言い換えれば、自分の優位性だったり、自分と他者の区別だったり、自己弁護だったり、自己肯定ともいえるのだけど。

それは意識的にも無意識的にも、いくら平身低頭それを見せまいとしても振る舞いや、言葉には醸されてしまうもので、その漏れてきたものの中に、その人が人からどうおもわれたいのかとか、逆にどうおもわれたくないのかとかそういうものが見え隠れして、そういうものが見え隠れする度に、人間とはどういう生き物なのかということが見えてきて、それが確固たるものになっていくような気がするのです。

そして同時に自分の言葉にはどんな邪気がでているのだろうかと自己観察したりするのです。

それと自分が邪気と呼んでるものが、もう近づいただけでぷんぷんしていて、しばらくそばにいると自分もその匂いに燻されてしまいそうな人をみつけたり、もしくは自分のした行動や、言葉からそういうものがふわっと漂ってくると、なんだかとても嬉しくなるのです。

どうして嬉しくなるのか、はっきりした理由はまだわからないのだけど、おそらくそれは人間ってほんとつくづく慈悲の対象なんだなと思うからかもしれないなと。

人間は、どこまでも救いようがなくて、だからこそ安心できるのだと思いたいということなのかもしれないなと。


POSTED @ 2015.04.18 | Comment (0) | Trackback (0)

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