Title: 選挙

乙武さんがTwitter上でフォロワーに向け「選挙に行かない理由」の意見を求めて、そこにたくさんの意見が寄せられているようだ。

自分は選挙に行くし、選挙権をもらってから一度も欠かさずに投票にいっている。どちらかというと選挙が好きだ。軽率な言い方かも知れないけど、あの非日常的なお祭り的なノリにわくわくするのだ。

という前提をした上で、今回の選挙について政見放送を聞いたり候補者のことを調べたりしていて、選挙に行かない理由として、「僧侶だから」ということは、浄土真宗の僧侶としてすごく筋の通った大義名分であるのかもしれないと思った。

政見放送をみたり、マニフェストを吟味したり、候補者の言葉に耳を傾けたりしながら思ったのだけど、結局の所、どの候補者にいれたら日本がよくなるだろうかということは、どの候補者にいれたら幸せになるだろうかということであるし、それは突き詰めていけば、どの候補者にいれたら自分にとってより都合のよい社会ができるのだろうかということなのではないかと思う。

こうなったら幸せであるという価値観で物事を判断すると言うことは、同時に、そうならなければ不幸であるという価値観を抱え込むことになるのではないかと思う。

仏教というのは、「幸せ」というものがあくまで自分の都合の上に成り立っていて、その都合をいかに小さくしていくかと言うことを、実践をとおして体現していくものだと思っている。

浄土真宗においていえば、自分の都合や、想像や、もっといえば予定や計画も、いつどこでどんな要因によって変わってしまうかも知れないし、いつだって一寸先は闇であるという現実、事実、それがあくまで既存設定であるということををしっかりと自覚することが大切で。

同時に、その現実の中で、自分の都合や、想像や予定というのは、あくまでその瞬間の自分の都合に過ぎなくて、例えその通りに進んだら必ず幸せになるかといえばそうではないし、その通りに進まなかったら不幸になるかといえばそうでない。幸せか不幸かというものは、自分一人の脳みそで想像できる範疇を超えた、たくさんの縁によってなりたっている。

そんな無常でいてたくさんの不確定な流れの中で生きて行かざるを得ないのが人生なのだということに気づいて、その現実をしっかりと受け止めていくという覚悟と姿勢を持って生きていくということこそが、浄土真宗の根幹ではないかと思っている。

あえてエッジの効いた言い方をするのであれば、表面的にそこそこ幸せに生きていくために、社会というのは切っても切り離せないものなので、真剣に自分の一票の行き先を考えると言うことは大切なことだと思う。

でもその一票で得られる幸せよりももう一歩踏み込んだところに、そういう執着に左右されない、人間の本来得るべきである安穏とか、充足というのがある。

ということを僧侶として胸を張って言えるということは、とても格好いいし、選挙にいかない大義名分としてとても筋の通ったことなのではないかと思う。真宗僧侶はそもそも出家してないけど、そもそも出社会、出世間をするということが、出家であるわけで、出家した僧侶が選挙にいくなんてことは本来は根本的な矛盾を抱えているだろうな。

とはいえ、今の自分にはまだ、その言葉に行動を伴わせるなんてことはできないし、とりあえず目の前のそこそこの幸せのほうが大事なので選挙にいく。

でもいつかそういう老僧になりたい。という志だけは高く掲げておこうと思う。


POSTED @ 2012.12.14 | Comment (0) | Trackback (0)

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