Title: サバシスター
つくづく自分の原動力となっていたもの、もっといえばエネルギーそのものになっていたものは「青臭さ」と呼ばれる類のもので、それは何かに対する無条件の反抗や、無条件の拒絶や、一方的な正義感だったり、よくわからないけど、目に見えたものだけをかたくなに信じられる偏った真実だったのだということを思い知らされる。
そこから湧いてくるエネルギーはただただ何とか融合のような熱量があった。
その有り余るエネルギーを外へ外へどうやって放出してやろうかと、意識的にも無意識的にも、内側から外側へ向けて放ちながら、曲がりなりにも成長してきたつもりで。
十把一絡げにするつもりはないが、自分たちの世代は、あまりにも「友情・努力・勝利」を掲げた少年誌や「勇者」という絶対的な価値観とか、どんな逆境にも立ち向かうサイヤ人の小気味の良さや、コスモを燃やす少年達に完全に前のめりに育っていることに加えて、ドブネズミの美しさをまざまざと見せつけられている。
だからなのかどうかはわからないけど、どうしても根本的なところにそんな類のエネルギーがくすぶっていることを認めざるを得ないのだ。
しかしながら時代は巡る。
青臭さはいつのまにか、側面的で、独善的で、そして多様性ではない世の中になってしまった。
ヴィランにはそうならざるを得ない理由があり、勇者は悪魔の子と呼ばれて、コスモは封印され、正義には双方の視点が求められて「友情・努力・勝利」にすらも炎上の火種がくすぶっている。サイヤ人だけは相変わらず拳で会話を続けることを許されているけど。
現実世界は拳で会話をして、友情を深めようなんていう価値観は笑いを滲ませた皮肉で薄めなきゃ不適切でなんとやら。
そんな流れの中で自分の原動力がどんどん冷やされていくような、冷やされた身体の芯に気づかないふりして、ごてごてと張りぼてを着込んでいった挙句に重量オーバーした心で踏み出す一歩はとてつもなく重くなっていく。
でもそんな世界を指をくわえて嘆いて、窮屈だななんて懐古するつもりもなくて、どんなに世界が変わろうと、目の前の世界を作りだすのは自分自身の心次第なんだと信じて、世の中の作用と反作用と、人間の図太さと浅ましさを信じてる。
野音でヒロトは言ってたよ「この鉄の檻は人の心までも縛れんようじゃな。ざまあみろ!」って。
ざまぁみろってな。
POSTED @ 2024.08.21 |
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