Title: 波。
何度経験しても、あのほの暗い蓋の向こう側にいくことが、
終わりで、お別れであるという理解では、心が追い付かず、
やはり、あちら側への入り口で、またいつか倶会一処なのだと、
信じるしかないわが身に白旗。
涙の数だけ強くなれるというのなら、
強くなんてならなくていい、
強くないままに、どう生きねばならないのか。
それを問うのが大事なのだと思う。
*
様々な真実を、境遇を、背景を、
知るということは人を寛容にする。
知らないからこそできること、
生み出せるエネルギー、
成し遂げられること、
寛容では行き着けない場所、
そういう場所で、一歩一歩前に進んで、
不寛容を肯定する生き方の中では、
決して感じることのできない感覚があると思う。
その想いはおぼろげではなく、もはや確信に近いものになりつつある。
*
後悔しても取り返せないことというのがある。
その忸怩たる思いを、
この先自分の中で、大事な糧として、
心にささった棘をそのまま抜かずに、
大事にしていこうと思う。
そしていつか倶会一処、その時に、
改めてその後悔を伝えようと思う。
*
自分の身体の使い方を、頭の中で反芻しながら調整していく。
なんでうまく動けないのか、なんでさっきうまくいったことが今回はうまくいかないのか。
ひさしぶりに身体をおもいっきり動かして、
感覚と理屈をフル総動員しながら、同時に自分に足りない筋力にも気づかされながら、
ひとつひとつレベルアップしていく感覚を味わっている。
身体を動かすこと、できないことができるようになること、
自分自身に目を向けること、
つくづく自分はそういうことに心地よさを感じる脳みそなんだなと、
けだるい心地よさの中で幸福感に包まれる。
*
幸福感というと、
同じようなところを何周もまわって、
同じような穴に落ち、
同じような石にけ躓いて、
同じところに傷を負い、
同じじゃないところに立っている。
そんなもんなのかもしれない。
*
同じように身体を動かしていても、毎回同じ結果が出るとも限らない、
人生も同じで、その時の風や、熱量や、様々な要因が重なり、
その瞬間があるわけで、
経験は勝率を上げるけど、
経験だけで勝ち抜けるようなものではなく、
つねにその後ろにある、目に見えないなにかを感じる心を
さびつかせてはならないわけで。
POSTED @ 2019.10.16 |
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