Title: mi
じんわりと痛む、腰から背中、足の先までおりてきた痛みを、さも味わうようにやりすごす。
morohaを聞きながら、今は何年だったかと、自分の中の時間軸がぶれる、京都の細い通りをバイクで走っていた時の匂いがふとただよう。
昔を思い出す時にいつもその思い出は、昼下がりから夕方にかけてのことばかりで、なぜだかわからないけど、哀愁と昼下がりは自分の中でとても密接につながっているようだ。
今、自分の日常はだれかの日常をつくりだせているのだろうか。
誰かの思い出や、誰かの記憶や、誰かのくだらない日々になれているのだろうか。
自分の作り出す日常が、だれかの日常をつくり、その日常はまた誰かの日常になる。
その輪はあそことここと、そちらとあちらとどんどん大きくなってたくさんのものを飲み込んでいく。
でも
自分がだれかの日常をつくるのだなどというところに捕まらないようにしよう。
自分の日常は自分の目線で語られるものであるべきで、自分の目からみたものであるべきなのだ。
そこには俯瞰した目線も、相手からの目線もいらない。
いまここから見えたものが、自分の日常で、
その日常の集合体が、今なんだと。
その今は、決してつかまえることなんてできない。
POSTED @ 2018.10.09 |
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