Title: 向。

大きな肉の塊を眺めながら、この中にじっくりと火が入っていく様子を想像する。

実際に目には見えない熱の流れを、頭の中でシュミレーションする。

焼き目を付けるフライパンの温度はどのくらいがいいのか、この熱さのフライパンの上に脂身の面から、お肉をのせたらどんな音がするだろうか、何秒でどんな色の焼き目がつくだろうか。

そしてオーブンに移した後に、外側から内側へ、徐々に浸透していく熱のスピードをイメージする。どのくらいの温度で焼いたら、外側が焦げるスピードと、内側に熱が向かうスピードのバランスがいいだろうか。

何度もシュミレーションをして、オーブンの余熱を始める。

一度ガスに点火をしたらもう後には戻れない、
オーブンメーターをみながら、室温を一定に保つ。

本当は音とか、匂いとか、見た目の変化や、肉の弾力をみながら状態を把握する、
とか言いたいのだけど、そんな技量は自分にはまだない。
なので、ある程度はセオリーを守り、数字を頼り、失敗を繰り返し経験値を積むしかない。

肉の表面からじりじりと肉汁があふれてくる、少し赤みがかった肉汁が透明に変わるタイミングを見逃さずにベンチタイムにはいる。
肉塊を焼き始めて思うのは、このベンチタイムの重要性だ。

肉はオーブンから出した後も余熱で中心温度は5度はあがる、アルミで包むとさらに余熱は進む。イメージした出来上がりから逆算してベンチタイムに入るタイミングを割り出す、そこで肉汁が肉の中にしっとりと落ち着いて出来上がりに大きな差を生む。

そして最大の決断はベンチタイムをどこで終わりとみるか。
その決断を下せるのは、他でもない、トランプでもない、
火入れをはじめた自分しかいないのだ。

その重圧を乗り越えて、肉塊をまな板に置く。
何度肉塊をやいてもこの一刀を入れるときには緊張がはしる。

肉を焼き始めた時にやりがちなのが、ここでびびって、いきなり大きく肉を切ることはせずに端っこの方に包丁をいれてしまう、するとたいていの場合、端の方はよく火が入っているので、その色味に火が入りすぎてしまったと思い落ち込むという「あるある」だ。

そんな経験を繰り返してるだけに、最近ではそんなことではひるまずに、端の方の色味に一喜一憂せず、ゆっくりと、そして厳かに肉をスライスしていく。

そして一番の厚みをもつ、Top of the meatを両断したときに、そこにしっとりと肉汁のベールをまとった、ピンクがかったロゼの切り口があらわれ、それは衣のように、ナイフがまな板に到達するかしないかの刹那に、ふわりと倒れる様子をみた時、

ああ、肉を焼いてよかったと思うのだ。

そしてその安堵とともに、サーブする前の切り落としに、スプーンでソースをたらし、口の中にほおりこむ。

大抵の場合、ここで冷蔵庫から冷えた缶ビールをだしてきて、一人で祝杯を挙げる。
張りつめていた緊張が一気にほどける、その一瞬のシェフタイムの至福はなににも代えがたい。

キッチンは戦場だ。

そしてそこで得る勝利とはなにか、それはいつだって五臓六腑が教えてくれるのだ。


POSTED @ 2019.07.09 | Comment (0) | Trackback (0)

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