Title: G

誰の得にもならないけど、書きたいので書きます。

最近、世の中はコロナでどたばたしており、自分の身近も例外ではなく、本当に毎日がジェットコースターに乗っているかのような日々を過ごしております。そんな心を癒すがごとく、夜な夜なゲームにのめりこんでいます。

現在PS5(Ghost of Tsushima )とNintendo Switch(ポケモンアルセウス・モンスターハンターライズ)を同時進行で進めています。

ゴーストオブツシマのグラフィックはとても素晴らしく、雄大な対馬の大地を馬でかけて、向かい来る敵をなで斬りにしながら、日本海に沈む夕日に手を合わせています。

そしてポケモンアルセウスに関しては、新しいポケモンの姿(ヒスイの姿)にわくわくするだけでなく、ポケモンGO~イーブイ・ピカチュウ~ソードシールド~のいいところを凝縮したような新しいシリーズに、作り手の苦労や、挑戦、苦悩などが垣間見えて、改めて人気シリーズを続けていくことの偉大さと、大変さそして、改めて、作り手の想いや情熱はユーザーとともにあるべきで、その間にある距離感の大切さなどを考えさせられるような素晴らしいゲームです。

そしてモンハンに関しては、夏の大型アップデート、サンブレイクに向けて、指の動きが鈍らないように、リハビリ的な意味で続けています。主に弓をメインにしていますが、最近はやることなさ過ぎてついにチャージアックスに手を出してしまいました。日に日に強くなるイベントクエストのヌシに心が折れそうになります。

そんな日々の中でどうしても言いたいことがあります。

なぜか突然、PS5のボタンの仕様が、決定がXボタン、キャンセルが〇ボタンに変更になっていました。PS4までは逆でした。
この仕様変更が地味につらいです。環境設定で変えられるのですが、その場合、ゲーム内にでてくる決定・キャンセルの表示と、ボタンの仕様が逆になりとてもややこしいので、仕方なく時代に合わせて新たな回路を脳に叩き込んでいるのですが、

無論、ファミコン、ゲームボーイ、スーファミ、DS、switchと育った僕ら(あえて僕らといいます)任天堂街道を歩いてきた脳と身体には、決定はAボタン、PS5の〇の位置、キャンセルはBボタン、PS5のXの位置が脳髄にまで叩き込まれていますし、ダッシュはBボタンなんですよ(最近はL、R捨て押し込みが多い)それはもう血肉なんです。

その長年の習慣は簡単には変えようもなく、大事な場面で、決定キャンセルを間違う自分にストレスがたまり、ダッシュが思うようにできなくて脳が軽いパニックをおこしています。

この仕様変更は本当につらい。

それと、ハードをまたいでゲームをするときに、それぞれのゲームでの仕様の違い、例えば、飛び道具を扱う場面で、照準、エイムから、発射までの一連の動作にも仕様の違いがあり、弓を使う場合、

対馬では、L2照準、RエイムのR2発射
モンハンでは、ZL照準の、ジャイロエイム、ZR発射
アルセウスでは、ZL照準の、Rエイム、ZR発射

乗り物、対馬(馬)モンハン(ガルク)アルセウス(アヤシシ)に乗る場合の、搭乗、ダッシュ、降りるに関してもそれぞれの操作が微妙に違います。なので、さっそうと馬に伸び乗り疾走しようとして飛び降りちゃうとか、その逆が起きることもしばしば。

オープンワールドの中でも、高いところや、水に落ちた場合の仕様も違います。

例えば、対馬では受け身を覚えるとそこそこ高いところからでも飛べるし、水に落ちたら泳げるのに、
モンハンはどんなに高いところから落ちても大丈夫で、水には基本はいれない。
それに対し、アルセウスではそこそこ高いところから落ちると死ぬ、水に落ちても死ぬ(溺れる様子がリアルでドキドキします、たぶんおぼれた経験のある人は胃がきゅっとなると思います。)

1時間おきにゲームを切り替える中で、この小さな仕様の違いに、一瞬の判断を誤り、死んでしまったか、どれだけ敵に見つかってしまったか、ポケモンボールと間違えてポケモンを投げてしまったかわかりません。

でも、弱音を吐いていてもしょうがないので、これは脳への挑戦状だと思って勝負することにしました。
自分の脳との戦いです、一回一回ゲームを始める前に瞑想からはじめることにしました。
そして脳をマインドセットしてから、ゲームに向き合うことで、操作ミスを減らそうともくろんでいます。

結局なにが言いたいってってこともないのですが、

PS5の仕様の変更は世界標準に合わせたからなんだろうか、海外では日本でいうYESをNOで表すからだろうかとか、海外と日本のXマークの感覚の違いをシェアに合わたからなんだろうかと、様々な仮説を思うに、日本のガラパゴスを感じたような気がしてさみしくなったのと、それでも世界シェアで戦う任天堂の偉大さと、その仕様が長年の被験者として骨の髄まで染みついている僕ら、(あえて僕らといいます)の誇りのようなものも感じるわけです。

そして、脳というのは、つねに不測の事態にも対応できるように、メモリーをフルで使わず、できるだけコスパよく省エネで動けるように、目の前にあるタスクに対して、習慣化してまとめることで、脳にかかる負荷を減らしつつも、安定したパフォーマンスをだせるようになっているといいます。しかし、日々が習慣の連続だけになってしまうと、脳は常にパフォーマンスを残した状態で、同じ個所しか使わないので、脳の認知機能が落ちるので、たまには習慣を崩すことで脳が活性化するといいます、認知症の治療にも通づるものがあるように思います。

ですので、1時間おきにハードを変えたゲームで、最高のパフォーマンスをだし続けることは、脳を鍛えることだとおもってがんばることにします。

そしてこの差が、いつか認知機能の違いとなって表れてくれることを願っています。

あなかしこあなかしこ。





POSTED @ 2022.02.02 | Comment (0) | Trackback (0)

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