Title: 遊び

幼児期において、遊びというものは不完全であればあるほどよい。

大人はつい、はじめにルールを決めたり、不都合が出ないように調整したり、不平等が生じないように先に策を講じたりしてしまう。
しかし、遊びというのは不完全なまま、よくわからないあいまいな状態ではじまり、よくわからない理由で壁も生じず、再現性のないままに遊びが進めば進むほどにその醍醐味があるように思う。

そして、なにか問題が生じた場合に、それを調整し、そこにルール自体をつくることが、遊びの中に組み込まれていくこと自体が、もう大事な学びである。

たとえば、よくわからないままおにごっこがはじまり、鬼が変わったかと思ったら鬼が増えていたり、タッチされたら十秒数えるというルールが加わったり、挙句の果てには追い詰められた子どもが氷をしたら無敵になれるようになったり、安全地帯が付加されたりする。ところが今度は、安全地帯からだれも出てこなくなって鬼がおもしろくないから、安全地帯に入れる時間が五秒に設定されたりする、といったような光景は日常茶飯事である。

そのひとつひとつのプロセスで、考えを巡らせ、意見をぶつけ、共感をしあうことでしか育んでいけないものがあるということをどこか頭の片隅に入れておかなければならない。

大人はつい、合理的であること、効率的であること、平等であること、再現性があることを求めがちである。
けれども、どこでだれがやっても同じ遊びになることよりも、その日の、そのメンバーでしか成り立たないような一期一会の遊びが、毎日あちらこちらで生まれていることのほうが、幼児期においては十分に価値がある。

そして、それを許容する環境づくりをするためには、保育者の遊びに対する理解が必要。

遊びの本質は、ただそのコンテンツを楽しむということだけに意味があるのではなく、遊びを他者と共有するというその中に本当の楽しさが含まれていて、その楽しさの中にこそ、遊びから学べることが何なのかという、大事な答えがあるように思うのです。

POSTED @ 2026.02.12 | Comment (0) | Trackback (0)

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